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マイベース 

はじめまして! 
よっし士です!!




1970年1月8日 
山羊座 B型です。

お風呂屋を営んでいる両親と、
アメリカンショートヘアーのチコと
暮らしています。


幼少時代


自立心が強い子でした。

家族で遊びに行っても、
1人でスタコラサッサ と
どこかへ行ってしまう子供でした。

基本、外出は嫌い。

ばあちゃんと2人で留守番して、
2つ上のお兄ちゃんは喜んで
両親と外出をしてました。



ケンカで何度かお兄ちゃんを
傷付けていました。

シャーペンの先を、お兄ちゃんの頭に刺して
頭皮にシャーペンの芯が刺さったままだとか。

カミソリで二の腕を切ったとかして、
お兄ちゃんを泣かせていたり。



夏休みに親戚の家に泊まった時、

「お兄ちゃんが、ハナクソくっつけた~!」

って、わめいていたら
親戚のおばさん達に、
叱られていたお兄ちゃん。


ハナクソくっつけたのが事実なのか、
30年以上経った今は、
分かりません。


ウソであったならば、
ゴメンなさい。

お兄ちゃん・・・。


幼少時代は

「気性の荒い子」

と家族の間で言われていました。





短大時代


東京都世田谷経堂にある、
某短大に入学した。

今までの生活の反動か? 
女子高だったせいか?


何だか分からないが、
男の子にもてたくてしょうがなかった。



靴は絶対、ハイヒール。
ミニスカートは必須。
パンツはNG!!
髪はロング。
アイメークは念入りに!!



その効果は、出ましたよ~^^もててました。



入学して、すぐの事。

猛烈アタックされた末に、
付き合う事になった彼氏(大学の先輩)が出来た。


彼の粘り勝ちです。


彼はボンボン育ちのお坊ちゃま。
実家は酒造をやっています。

1000円するバナナジュースを飲みに行ったり、

10万円近くする革のコートを買ってもらったり、

バッグを買ってもらったりと、

いろいろしてくれた。



でも、すぐ気付いた。
と言うか、分かっていた。

彼のことを好きではない。と。


私が好きだったのは、
彼のやってくれていた行為。


おいしい物を食べ、飲み、
お気に入りのバッグを持ち、
革のコートを羽織り、
1泊2日で、車で軽井沢に出掛ける。


私を満足させてくれる
彼の行為が好きだった。


そんなの長くは続かない。

やっぱ、
彼を好きという気持ちがないと、
ダメだよね。


別れを切り出したが、
彼が諦めなかった。


そのままの流れで、
付き合っていた。


月日が経ち、
2度目、3度目と別れを切り出した。

が、彼は、諦めなかった。


何度目だったか?


別れを切り出した時、
彼も受け入れてくれた。



あの時、彼、泣いていたと思う・・・多分。


2年近く付き合いました。
短大生活は、擬似恋愛でした。



短大を卒業してから


2年生の時は就活もせず、
卒業しても定職に就かなかった。


ある事をしたいが為に、
定職に就けなかった。


そのやりたい事と言うのは、
演劇でした。



27歳の冬まで6年間、
どっぷり、はまってました。

6年間は、演劇一色でした。

本気で取り組んでいました。


収入源はアルバイトでした。
それも、微々たるもの。


公演が決まると、
1ヶ月半くらい前から稽古が始まり、
アルバイトもままならない。

チケットを売らなくてはいけない。
ノルマがある。

もし、売れなかったら、
その分は自腹で払う。


友人、知人にDLを送る。

でも、観に来てくれないのが現実。

1度、観に来てくれたとしても、
次に又、観に来てくれるのは難しい。



当然、赤字で、金銭面は厳しかった・・・



劇団員は、飲むのが好きだ。
稽古が終わると、ご飯を食べて飲む。


本当、皆、タフです。。。



私は

”やりたい!!”

と思ったら実行しないと
気が済まない方。


「もう、潮時だ。」



思う所まで演劇を充分やれたので、
気が済みました。



演劇関係の皆さん、
いろいろありがとうございました。


感謝しています。



まともになり始めた27歳の春


突然、糸が”プツン”と切れたように

「まともになろう」

と思った。


誤解してほしくないが、
劇団時代がまともじゃなかった訳じゃない。



正確に言えば

「安定した収入のある社会人になろう」

と思った。


27歳の春、
歯科衛生士になる為の専門学校に入学した。

物凄く勉強した。

成績も良かった。



この歳になってからの勉強って、
大好きな歌を聴いている感覚だ。


とにかく様々な歯科の知識が
体の中に吸収されていく。


先生の言う事は、
一言も聞き漏らすまい!

貪欲だった。

勉強がこんなに楽しく感じられる事があるのか?!



専門学校を卒業して


無事に卒業が出来て、
個人経営の歯科医院に勤めた。


29歳にして、初めての正社員。

遅いスタートだった。


今も、歯科衛生士として働いている。

10年間、衛生士をやっていると、
テクニックや技術も付く。


今では、先生に重宝がられている存在だ。


患者さまに指名される事もある。


「あなたがいい」

「あなたにやってもらいたい」


と。

ありがたいものだ。




両親の存在


今の私があるのは、
他の誰でもない・・・両親のおかげです。


短大まで行かせてもらったが、
ろくに働かず、
毎晩、終電で帰ってきたり、
午前さまだったり。



演劇時代の6年間きっと、

「あの子はどうなってしまうのだろうか?」

と思っていたに違いない。



突然、
専門学校へ行くと言った時も、
快く

「いいぞ!通いなさい。」

と言ってくれて、
学費を出してくれた。



うるさい事は言わず、
暖かく遠くから、
見守ってくれている両親。


どんな時も味方でいてくれる。



太陽みたいな大きな存在。
かけがえのない存在。



もし親の体が動けなくなって
介護が必要になったら

親が赤ちゃんに返ったら、

私は今まで無償の愛情を注がれて育ててもらった分、
そのまま、親に返すつもりです。


無償の愛情を注くつもりです。


そんな大人になりたいですよ。


大筋で紹介してきたプロフィールですが

長いですね^^

まだまだ、ブログ構築中です。

こんな、よっし士をよろしくお願いします。

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